みどみどえっくす

元NO.1風俗嬢がゲスに真面目にエロを語る

近頃Twitterに寄せられるいかがわしいDMについて、思う事を書いていきます。

先日、ツイッターに一通のDMが届いた。

 

「セフレ、募集してますか。

スカトロがお好きなのですか。

あなたのアイコン見ました。

とても綺麗な雰囲気でした。

僕はそういうあなたを汚したい。

綺麗なあなたを汚したい。

僕の糞尿でグチャグチャにしてしまいたい。

あなたが自尊心を保ってられなくなるくらい、虐めて、グチャグチャにして、便器にして、僕はそういうあなたを見てあなたの中で果てたい。

頭から足先まで、僕の糞尿でぐちゃぐちゃになった君の中で果てたい。

僕の為に、僕の便器になってくれませんか。

こんな感じのはあなたも好きだと思うんですが。」(原文ママ

 

 

挨拶も感情も何もこめられていない、どこにも人間味の見つけられないそれを見て、絶望を感じた。

 

私がこれまで綴ってきたセックスとは、こんな感じだったのか。

こんな風に捉えられていたのか。

これは文字通りに、頭を抱えた。

セックスをこんな風に捉えるような人に、私は何かを勘違いされている。

 

長文のDMには自分の欲求しか綴られていなく、気味が悪くて震えた。

一方通行なだけの、いや、一方的な欲望は、惨い、恐ろしい、おぞましい。

残酷すぎて見るに耐えない。

 

少なくとも私は淫乱であるし、好きでもない人と誰彼構わずエッチなことをしてしまうし。

どうしようもない女なのだけれど、私はそのセックスに自分の全てを注ぎ込んでしまうのである。

そして、その一瞬だけでも、相手には自分に全てを委ねてほしいと願うのである。

 

誰の欲望にも、欲望には深い深い「いきさつ」があるのだと感じる。

もちろんそれは、言葉や文字なんかでは到底表せない。

 

ことセックスに関しては

「どうしてそのような趣向を持つようになったのか」

私はその表面的な理由だけではなく、その奥の、もっともっと深い所を理解し寄り添い、やっと深層に触れられた時、相手に尋常でない愛おしさを感じてしまう。

今もしかすると、私はこのまま死んでも良いのかもしれない、とさえ錯覚してしまう。

 

私はセックスに人間を求めている。

人と人とのぶつかり合いを求めている。

そして更には、幼い頃に抱きしめてもらえなかった欲求を、重ねている。

こんな自分だって、例えいびつにでも人を愛したいのだという劣等感を、ぶつけている。

 

 

糞尿を愛すようになってしまった私も、今思えばそこに至るまでには色々な葛藤、経緯があったように思う。

 

心の傷口から絶え間なく湧き出る膿のように、いつまでたっても止まらず、拭いきれない慢性的な寂しさと、圧倒的なまでの自己嫌悪感。

到底自力で這い上がれない、暗い暗い地の底にいるようで、私はいつも、やり場のない感情に首を絞められ、あがいていた。

 

しかし日に日に薄れていく自尊心の中で、いつも、それでも人を好きになってみたいという微かな願いだけはあった。

 

だが、愛し方がわからない。

そもそも、自分はそういう感情を持ち合わせていないように思えた。

更に言えば、多分、人を愛するとかそういう前に、人の事が嫌いなのだと思った。

 

深い葛藤とやりきれない倦怠感の中で、もう自分はダメなのかもね、と思った時に

「糞尿愛好」

に出会った。

 

 

www.midomidox.com

 

 

汚いものこそ受け入れたい。

 

人を愛する感情とか、術を知らない自分にとって、もはやこれしかないのだと思うようになった。

そしてそれを受容する事で、自己を肯定してやりたいのだと思った。

例えそれが稚拙な自意識だったのだとしても

「自分も人を愛する事ができるのだ」

という自己肯定感を、ほんの一握りだけでも良いので持っていなければ、壊れそうだった。

 

 

「汚す」「汚される」といった行為は果てしない愛の受容と承認を、究極に示す指標のようにも思う。

☆BUKKAKE☆〜2018秋〜 - みどみどえっくす

 

 

誰が聞いたって、ただの考えすぎである。

 

しかし私は、その刹那に自分の全てを捧げ、相手の全てを委ねてもらった時。

例えその術が「糞尿愛好」だったとしても、その一瞬だけでも人を愛する術を見つけられた事を、とてもラッキーだったと思っている。

 

自尊心すら薄れ、例えやりきれなくわびしくとも、愛を見つけられずに成す術もなく、日常を朦朧としていた時なんかより、全然マシなのだと感じる。

感情が弛緩して溶けだす前に、私は「糞尿」に圧倒的に救われたのだと感じる。 

 

私は誰の欲望も、どんな趣向も責めるつもりはない。

むしろそれに寄り添い、自分なりの清い愛情で包みたい。

その深層にある、極めて繊細な感情と、底知れず渦巻く甘美なる快感を、延々と交換し続けたいと思っている。

なに女神ぶっているのだろう、と、自分でも笑えるけれど。

 

だがそれは、あくまで対人間だから成し得るものなのだと思う。

私はそこに感情すらない、機械的なセックスは望まない。

物理的な快感を求めているのではない。

刹那に狂い、全てを落とし込み、この上ない心の繋がりを求めているのだと思う。

機械の糞など、人間的な温もりのない糞など、欲しくはない。

 

 

 

ただここまで書いて言える事は、やはりこれだけ情熱を注ぎ、自分の全てを捧げ、更には相手に全てを委ねてもらいセックスをしたにも関わらず、終わってみたら

「やはり、とっとと今すぐに帰ってくれ」

とか思うのだから、自分狂ってるな、と。

 

圧倒的な自己矛盾。