みどみどえっくす

元NO.1風俗嬢がゲスに真面目にエロを語る

ネイキッド

うん、と・・・何から書けばいいか、どう言い出せばいいか。全く分かっていない。今。

だから今回は「どう書くか」じゃなく、自分のありのまま、まさに今出てくる気持ちを綴ろうと思います。なので、きっと読みづらいかもしれない。ごめんなさい。

しかもだいぶ、カッコ悪いです。みんなに嫌われちゃうかもしれない。怖い。

 

 

前回、こんな記事を書いた。

www.midomidox.com

 

ネット、主にSNSと今後どう向き合っていくのかを考えた記事なのだけど、あれからまた少し考えました。

 

私は上の記事で

 

少々小さい事を言わせてもらえば、自分の場合は手榴弾のように飛んでくるアンチやクソリプの一言一言に(ツイッター)、とんでもなく疲弊してしまったり逆にプレッシャーを感じてしまって、何をつぶやいたらいいのか、何を書いたらいいのか、全く分からなくなってしまった。

次は何と言われるのか考えると、怖くて。

そして自分はそんなつもりはなくても、全く意図しない方向に捉えられたり、言葉、更にはコミュニケーションっていうのは本当に難しいなと感じることが多々ある。

本来ならば、自分が発した言葉っていうのは全責任負うべきだという考え。 だから自分の発した言葉についてのレスポンスを、自分から終わらせるのは無責任だと考えるので、アンチもクソリプも無下に出来ないし、ブロックって本当にしづらい。

「愛している」は、また今度。。。 - みどみどえっくす

 

 

と書いたのだけど、唖然としました。

滅多に自分の記事は読み返さないのだけど、この記事に限っては何度も何度も、何度も読み返しては、忘れないようにしておこうと。そう思った。

けれど上の章について読み進めていると、何故かいつもつまずく。

どうしてか釈然としない。何でかなってずっと考えた。

自分が書いたことに段々自信がなくなってきてしまって、いっそ記事を削除したほうがいいかとも思った。

そして最終的に思ったことは、私はこの期に及んでも、やはり自分のことしか考えられないようで、自分が一番可愛いみたいだった。

 

いつもSNS、主にツイッターで交流していく中で、自分は励ましてもらう事が多い。

それこそイライラしてクソリプを晒した時とか、以前やってた質問箱にアンチが来たときとか。

そういう時に、心優しいフォロワーさんに、いつも心優しい声をかけてもらってた。

そして、自分も何処かのタイミングで何かお返しが出来ればいいなと思いながら、皆さんと交流を続けてきた。

でも、心のどこかでいつも「やはり自分には何にも出来ないな・・・」と自分の無力さを嘆くばかりだった。

いつも元気なあの子が今日は元気が無いらしい。そんな時にはいつもに増してリプライに力を込めるのだけど、何故かどこかに虚無を感じてしまう。なんでかな。本心には変わりないのに。

それがずっと違和感だった。

でもその違和感は「リアルな対人間」ではなく、「フィルターを通した対人間」であるからだって、ずっと思ってた。

そして、直接的にも精神的にも、必ず一枚通さなければならないフィルターに、とてつもないジレンマと底なしの虚無感を抱いてしまった。

挙げ句、自分が何も出来ないんじゃない、フィルターがあるから仕方ないんだって思った。ここでまず、私は責任の所在を全てSNSにぶん投げてしまったわけです。

 

私はずっと、相手の気持ちや温度を知りたい時は、男女、マジョリティマイノリティ問わず、セックスを術にすることで乗り越えてきた。むしろ、それしか知らない。

相手が本当に自分のことを思ってくれているか、または、だいぶ変わってるという自覚はあるのだけど、どれくらい嫌いでいるのか本当に嫌いなのかさえ、セックスを通さなければ分からなかったし、それを乗り越える術も、セックスしか知らない。

お互いに分かり合えないジレンマを、セックスを通して憎しみとして伝え合ったこともある。もちろん本当に大切に思う気持ちを伝えたこともある。

でもそれは至って持続性がなく、セックスのときにしか通用しない。自己矛盾。

終わったら「さっさと帰ろう」と思う。「帰れよ」と言ったこともある。

そんな自分がSNSなんて使いこなせなくて当たり前だし、フィルターと上手に向き合えなくても仕方ない。所詮ネットってそんなもんだろ、と。

諦めじゃない、事実そうなんだから仕方ないじゃんと。

 

でも記事にして言語化してみると、またもや圧倒的な違和感に苛まれる。

ここで気付いたのが、前述した

「最終的に思ったことは、私はこの期に及んでも、やはり自分のことしか考えられないようで、自分が一番可愛いみたいだった。」

になるのだけど・・・

虚無やジレンマの正体は、自分の中の「自己矛盾」にあったのだと感じた。

心優しい声をかけてくださるフォロワーさん、更には「声なき支持者」の方に、いつもありがとうという気持ちが本当にあるのなら、まずは「自分も何かお返しがしたい」と思う前に、アンチをブロックしていくべきだったなと。

優しい声をかけてもらって、尚いつも自分が出来ることは(やってきたことは)、アンチに噛み付くことと優しい言葉に対してお礼を言うことのみ。

本当に感謝の意があるのなら、まずこれ以上心配をかけないように改善策を探るべきで、その改善策はアンチの「ブロック」しかないわけで。

別に「頑張ってアンチと戦えよ!」と応援してくれているわけじゃない。むしろかばってくれている。それなのに自分は何かを勘違いして、全てを履き違えて。誰のアドバイスさえ聞けなくて。

何が「全責任負うべき」なんですかね。人の気持ちを踏みにじっておいて、それは無いでしょと思ったのです。

 

うん・・・ここまでならないと、気付けなかった。本当にごめんなさい。

私はいつも「好き」とか「大好き」とか言うわりに、自分可愛さが先に来ていたのだと思う。

言ってることとやってることが違いすぎて、救いようがない。何度も気付くチャンスはあったのに。

今まで本当にごめんなさい。

 

今回のこの記事も、書こうかどうかとても悩んだ。

これでもある種、プライドの上に成り立っていて、自分のことを自分で「稚拙だ、幼稚だ」と言うわりには、どこかで自尊心もあったのです。

でも、今回は本当に稚拙だし幼稚が過ぎた。羞恥心なんてレベルではなく、「こんなことも分からなかったのか」と、ただただ自分に絶望してる。

そして申し訳がなさすぎて・・・

それを不特定多数にこうして晒すこと自体ここに残るわけだから、震えてしまうけど、もうこの記事は見たくないとさえ思ってしまうけれど、この記事が自分にとっての戒めになれば良いなと思う。というよりも、そうでなければと思う。

 

今回の記事はツイッターで更新通知はしないのだけど、それは恥ずかしいから、情けないから読んでほしくないわけではなく、こういうことを不特定多数の方が一方的に聞かされても困るだろうと考えるからです。

これからの行動で示していくのが一番かと・・・(この期に及んでこんな陳腐なことしか言えないのだけど・・・)

そして何よりこれは、自分に対する戒めの記事だから。。。

 

今日も明日も明後日も、ずっと私はここから朝が始まって、夜になって帰って来る場所もいつも同じで。いつも同じ部屋の、同じ場所に座っている。

自分はどこにも行かないで、いつもと同じような日常を当たり前に送っていくと思う。

でも、これまでと変わらない現在地に対して、どんどん変わっていく自分の思考と感情と上手に向き合って、どこまで行けるのか。

幼稚園児よりも稚拙な自分がとても惨めになるのだけど。

もう嫌になっちゃう。何なの私。みんなが当たり前に分かるようなことでも、考えても分からなくて、ひたすら考えても分からなくて、何度もあるチャンスを無駄にしてきた。でも、それとも向き合わなければ明日は無いとさえ思う。

何度も嫌になってきたでしょ。でもこれが最後にしたい。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

いつかは本当の実情のある愛を届けたい。今まで本当にごめんなさい。本当にありがとうございます。では、また。