みどみどえっくす

元NO.1風俗嬢がゲスに真面目にエロを語る

両手に愛と花束を、ラブリーに参りましょう

今回の記事はいつもに増して、加虐性を含むアブノーマルな記事になりますゆえ、閲覧注意といたします。

精神的悪影響を及ぼしましても、当記事執筆者、わたくしミドリは一切の責任を負いません。てへぺろ

最近は初期に比べたら色んな方に読んでいただいているので、わりとビクビクしながら投稿してます。笑

何卒。

20時44分。駅前のスタバにいる。仕事の用事やプライベート、諸々が終わって帰宅途中である。

今日は一日が非常に長く感じた。

今日の記憶が一体、昨日の記憶なのか今日の記憶なのか。記憶が交錯し、脳みその情報が錯綜するほどに、色んなことがあった。

色んなことをこなした。色んな所に行った。色んな人に会った。

詳細を公表する予定はないのだが、今、自分の人生のターニングポイントになりそうな、そういう新しいことを始めようとしている。

いつもは夜のカフェには入らないのだが、今日は帰宅する前に気持ちを落ち着かせたかった。

どれをとっても鮮やかに冴える記憶を、濃く温かいブラックコーヒーで、わざと色濃く滲ませる必要がある。

一つずつ一つずつ丁寧に振り返り、一つずつ一つずつ丁寧にプラグを抜いていく作業。そして記憶の輪郭が滲みぼやけた頃。

ようやく、人肌に寄り添う温度に達したコーヒーが脳に染み、ほぐれていくのが良く分かる。

これまで薬理的な意味合いで酒を飲むことは多々あったが、コーヒーだけでもこうも心は弛むのか。

鮮やかに照る記憶のプラグを抜いたとき、反して心は、耽美な灯と安堵からくるささやかなエナジー。それらが互いの輝きを交えながらまばゆく揺れた。それはいささか盲点にあった。

そして初めて気付いたのだが、この時間は人がまばらで、ノートパソコンを刀のように携える”サムライリーマン”が少ない。それを見て更に「あぁ、一日が終わるのだな」と、今ただただ妙な安堵を覚えている。

まだまだ夜はこれからなのにね。(追記:今しがた気付いたのですが、今日は日曜日なのですね。笑)

 

私はたまに子供に返る。今の自分は果たして、子供の頃の自分から見たらどのような印象なのだろうかと考える。

丁寧に敷かれたレールをわざわざ降りて、好き勝手に生きている自覚は勿論ある。当然ながら、一切の責任を自分で負ってきた自負もある。

しかしその傍らで、「自分の思う人生を生きるため」に、色んな人に色んな手助けをしていただいた自覚も、勿論ある。(現在進行形です)

ただ、望んでいたのはこんな感じだっただろうか。幼稚園の頃の夢はケーキ屋さんだった。今の自分とはかけ離れすぎている。

ふと後ろを向けば、これまで辿って来た道は、とても儚い流星の尾のように今にも消えそうなのである。刹那に焦がれただけはある。

でも、それでも、小さな頭で夢を真剣に考えた幼心は忘れていない。

「ケーキやさん」「おはなやさん」どちらにしようか。自分には一体、どれならば出来るのか。

「ふじんけいかん」と言ったクラスメイトがいて、ギョッとした。自分には無理無理。反射的に頭を振った。

「やりたいことや憧れ」ではなく「自分に出来そうなこと」に重きを置いていた子供の頃の自分が、今の好き勝手に生きる自分を見たら、さぞかし驚くであろう。

もう前を向くしかないのですよ。

 

今夜、久々にゆっくりした時間が取れている。

退院してからここのところ、やるべきこと、やらなければならないこと、やりたいことを追っていて、傷口を抑えながらも飛ばして生活してきた。

・・・飛ばして、は言いすぎたかな。せいぜい競歩、くらいです。

全速力でなくとも、スキップよりは頑張っている感じするでしょう?

少々力は抜きながらも、もうちょっと頑張りたい。そんな時には「競歩」は持って来いなのだと思っていた。

しかしながら競歩というのは、やってみたら実は自分にとっては全速力よりもキツくて(!)全力とは限界感や苦痛の質は違えど、空中姿勢が皆無なため歩型一つでパフォーマンスにムラが出る、地味ながら極めて繊細な競技なのだなと、そう感覚で感じた。

そこから幼少期の記憶に思考が及んだ結果、もしかしたら「ふじんけいかん」よりも「ケーキやさん」の方が、自分にとっては難しかったのかもしれないなと、それか、もしかしたらどちらも出来たのかもしれないしなと、今になって柔軟に思えるものだった。

あまり思い出したくないものであったとしても、幼少時の小さな記憶や心情は、大人になった今も何となく生きるものである。だからわざと、トラウマばかりを手動で手繰り寄せる、そんな作業をすることもある。

私の場合は子供の頃の自分(の思考や記憶)に小さな気付きを貰えるときもあるから、間違いなく今現在の自分にささやかな彩を与えていると思う。

皮肉なことに、例えそれが残酷なものであっても、残酷なものであるからこそ。

今となっては掴みどころも危うく、頼りなくぼやけていく記憶もあるが、もっと小さな自分を(記憶から消えてしまう前に)大切にしたいなと思う。

傷口をえぐり出し、苦い思い出に酸を注ぐ所業が出来るようになったのは、今の自分が幼少期の自分を大切に守れるようになったからなのだとも思う。

そして経験上、要領の悪い自分は、物事の見極めと力加減のバランスを取るのが極めて下手くそなために、良くも悪くも実は自分が思っていたこととは正反対の結果になることが非常に多い。(これはホントに子供のときから変わらない・・・)

想像してみるだけでは駄目で、やってみなきゃ分からないことも沢山ありますよ。出来ることならそう、子供の頃の自分に伝えたい。

 

さて、入院中、とても困難なことがあった。それは糞が食えないということである。

私の糞に対する欲求(糞欲)は性欲の延長線上ではなく、実は性欲よりも遥か上の位置にありまして、まさにこれは「禁欲」というに相応しいシチュエーション。あぁ、困った。

これまで何の我慢もせず、セックスしたい時にはセックスをしてきたし、眠い時には寝た。腹が空いたら食えばいいし、「禁欲」というのは自分の辞書にはあれど、どこか少しリアリティのない言葉だったように思う。

ここまで書いて思いましたが、私が「寝た」とか「食った」とか言うと、何だかちょっぴりエッチですよね(照)。(あくまで三大欲求のうちの「食欲」「睡眠欲」の話ですよ。笑)

話を戻しましょ。

とても満たされそうもない欲求があらわれた途端、すかさず無い物ねだりが発動してしまい、渡ろうか渡るまいか、心の岩橋がチラ見してくる。ちなみに渡ったら最後です。

専用の冷凍庫に閉まったジップロックに入れた糞を、保存期間の問題により、退院後どうやって処理しようか悩む理性に対し(実際の破棄方法は、自然解凍でお手洗いにジャーですよ。笑)、暗く狭い空間に閉ざされた糞に、ささやかな思恋の情を抱く始末。

糞に対し、懐旧の情に駆られて仕方ないのである。あぁ。困った。

そこで、子供の頃の自分を重ねた私が、心の中でこう呟くのである。

「やってみなきゃ分からないこともありますよ・・・!」

いやいや、これだけは無理でしょうよ・・・いくらなんでも、病院で糞を食うのは倫理的に無理があると思うの。

だからこそ尻の穴から物を食い、口から糞が出たら良いのにな、近未来的にそんな風にはならないだろうか。自分だけでも。

ふと、イマジネーションとイノベーション、理性と禁欲の狭間に、叶わぬ夢を見てしまう。

ガンジーは言った。

「非暴力とは人間が与えられた最大の武器である。」

私が今日日求めることは、無抵抗主義でない、非暴力の糞である。

私は拳を握らず、非暴力で欲求(糞)と戦う。結果、欲を否定、拒絶せずに、上手に付き合っていくことも出来ると思う。

欲と本能に流される、無様な人生で終わりたくないのです。実際は流されまくっているけども。今はね。

「あなたがこの世で見たいと思う変化に、あなた自身がなりなさい。」

そして願望を願望で終わらせず、誰のことも責めない。ただただ己のイマジネーションを味方に、やがてそれが夢を紡ぎイノベーションになっていくのだと考える。

禁欲の果て、糞に学ぶことも多い。

 

最後にライフハックを教えましょうか。これ、みんな知らないんじゃないかな。

それは糞の保存方法についてなのですが、糞を保存するときは、ジップロックに入れて「冷凍保存」が最良ですよ。

その場合は、マーカースペースに「日付」「糞のオーナー名」を必ず記載しておくこと。

例:3月15日 鈴木

  3月16日 田村

こんな感じです。分かりやすいでしょう。

それから、保存方法は「必ず冷凍保存で」ということ。

間違えても炊飯器で2日保温とか止めて。菌の増殖が半端じゃないし、それ食ったらわりとマジでお陀仏です。

あとは、「解凍」する際には湯煎とか、レンジとか、一切駄目ですから。自然解凍一択。

湯煎に関しては臭いが尋常じゃないし、レンジに至っては「糞が爆発する」。地獄見たくないでしょう?

そろそろ規約違反じゃない?これ。大丈夫じゃない気がしてる。

 

 

満たされない欲を嘆じるよりも、自己の本望に浸る甘美な人生でありたいですよ。願望はね。

「愛している」は、また今度。。。 - みどみどえっくす

 

 

糞ばかり食ってないでさ、両手に愛と花束を、ラブリーに生きたいですよ。もっとね、本当は。

今なんて両手に糞を、ブリブリーじゃないですか。

身が出るのは大変結構ですけれども、ラブリーとは程遠い気がしてる。

今年も頑張ります。

21時16分。さて、そろそろ帰宅します。

皆さま。明日もラブリーな一日を、共に参りましょう。では、また。

 

「愛している」。とっても。だーいすき。すき。みーんなすき。