みどみどえっくす

元NO.1風俗嬢がゲスに真面目にエロを語る

大雨が過ぎた夜に

カジュアルな恋愛の方が気楽だから好きだとか、もう大人だしもっとエグみのある恋愛がしてみたいだとか。そんなことは微塵も思ったことがない。

エロの世界で毎晩サバイバルしてきた身としては、甘酸っぱい恋愛とか、どことなくリアルじゃないし、人間の欲なんてそんなもんじゃないだろと思っている。

手を繋ぎたいとか、あと少しでいいから一緒にいたいとか。そういうプラトニックな感情は「セックスがしたい」という気持ちを隠すための最もらしい嘘だと感じていた。

いつだって、心の中で舌を出していないで早く「セックスがしたい」とハッキリ言えよと思っていたし、「手を繋ごう」と言われればホテルへ行った。「もう少し一緒にいよう」と言われれば、身の置き所のない退屈さに居心地の悪さを覚えた。

酒の勢いでするセックスは嫌だとか、キスが一番大事だとか、そういう最もらしいことを言っておきながらも、プラトニックは回りくどくてかなわない。

一度だけ寝た男に、言われたことがある。

「君はセックスの前と後だと態度がまるで変わりすぎて。酢のきかない鮨みたいだよな。なんか傷付く。」

味気ないということが言いたいらしかったが、その回りくどい言い方にも辟易した。そうやって言う割にはしっかり中で出したくせに。鼻で笑った。何をわざわざ。どうもすみませんね。

例え味気なくても、お互い様で傷を舐めあった時間に、ありがとうで終われない人間とはもう二度と会いたくはない。時間くれてありがとうだろ。寂しい夜に、一緒にいてくれてありがとうだろ。虚無な時間に疲弊しても、心の隙間が埋まらなくても、それを共有してくれた時間は事実でしょ。

それをわかっていて寝たくせに。もう会ってもいない。顔も見たくもない人間が一人増えた。実にくだらない夜だった。

 

実のところ、自殺して亡くなった実母の墓の場所を知らない。

母の兄弟に何度連絡をしたところで煙たがられるだけだったし、その度に傷ついた。家に押し掛けたこともあったが、まともに取り合ってもらえるわけなんてないし、目も合わせてもらえず「実母が自殺したのはあなたの父親が悪い。更に言えばあなたが生まれたから。絶対に許さない。」と言われた。

その家の玄関にはたくさんのビール瓶がケースに入って並んでいた。酒屋に直接配達してもらっているのだろうなと容易に想像できた。実の父はこの兄弟にビール瓶で殴られ、片目を失明している。

母はよく、結婚していても孤独だと、寂しいと泣いていたらしい。精神疾患を抱えていた。母方の本家に「あなたが生まれたことが原因。絶対に許さない」と言われれば、母が命をなくした事実に謝るしかなかった。

実の父といい、母は記憶にないがこの兄弟といい、自分は随分と血の気の多い家系に生まれてしまったらしい。

実の父には虐待を受けていた。首を絞められ死ねとよく言われた。大きな拳で殴られた生々しさは、未だ忘れられないでいる。生まれてきてごめんなさいとよく謝った。未だに掌の大きい男は少々苦手である。しかしきっと父は、私のことを心底嫌って憎んで、自身の拳を痛めていたわけではないのだろうと思う。

父はとても弱い人間だった。弱い人間は、どうしても武器を抱えてしまいがちである。暴言、そして暴力。それら全ては自分を守るための武器であり、その武器を使うということは逆に自分をも苦しめることだと、私はよく知っている。

父もきっとギリギリだった。私を殴る度に自分の弱さに直面し、自身の拳の痛み以上に、父の心は都度傷ついていた。そして母に対する罪悪感、プレッシャー、それら全てを「死」という形で突き付けられ、一生背負わなければならない恐怖に毎日怯えていたのだと思う。そしてその行き場のない感情は、私に向けられて当然だった。「母の死」という、私との共通点に父は甘えていた。父の「立ち直りたい葛藤」は暴力への表れだった。

人が死ぬのは怖い。それが「自分の責任だ」と言われ続ければ尚更、自分を責め続けることで心の正常を保ってしまいがちである。自責の念や罪悪感を外へ出せる人はそうそう居ないであろうし、そういった感情は自身を抑圧するものだと思う。しかし、怒りの感情はその反動から思いもよらぬ形となって外へ向くのだと感じた。

そういう意味でも、残された人間は辛いと思う。何も知らされずにある日突然いなくなってしまった人を思い、一生背負っていかねばとなると、そういう意味では父には同情してしまう。だって、更に、一度は一生を共に歩もうと決めた相手だったのだから。父が殴っていた私は、私ではなく父自身の心だったのだと思う。自身の子供を殴り傷つけるという行為は、ある種自傷行為のように感じる。

 

相も変わらず、母方の本家には連絡を続けていた。いわゆる「先生」に頼ることも考えたが、それは違うだろとずっと感じていた。この期に及んで人間味のあるやり取りを望んでいた。

向こうから連絡がきたことは一切なかったが、先日突然、私の携帯に電話がかかってきた。

「金を払うから、もう金輪際、連絡はして来ないでくれ。家にも来ないで。頼むからもう忘れてほしい。」

とのことだった。

何も言えずに電話を切った。というよりも、気が付いたら切れていたのである。折り返す勇気がなかった。

情けないことを言うが、未だ実の母に置いていかれたという被害意識は消えていない。この期に及んで、もしかしたら生きているのではとすら思っている。実の父に対しても、捨てられたという感情以外は抱けない。ここでまた更に、自分のルーツが途絶えてしまったら、私は一体何を頼りに生きていけば良いのだろう。

底知れない孤独に頭を抱えた。もう一人は嫌。私はただ一度、面と向かって「お母さん」と呼びたかっただけなのである。しかしそれすら叶わないらしい。自分のルーツであるにも関わらず結局蚊帳の外であるという状況は、存在自体を否定されているようで思いのほか堪えた。

そして今日、言われた通りに現金書留でお金が送られてきた。金額は2000円。恐らく造作なくポケットにしまわれていたであろう皺の寄り具合だった。皺の一つ一つが意地悪く見えた。鼻で笑った。何をわざわざ。どうもすみませんね。

小馬鹿にされた気分だった。私が一体、何をしたのだろう。生まれてきたことが、そんなに諸悪だったのか。それなら何もない方がマシだった。

これまでずっと、お金で買われてきた身だった。だから尚、自分から愛情を求めるのはおこがましいとすら感じていた。金銭の上に成り立つ愛しか知らない。お金が全てだった。それでもお金じゃ愛は測りきれないし、お金は心を越えたことがない。ただ、この2000円は心が壊れそうだった。

いつかの男に言われた言葉を思い出した。

「酢のきかない鮨みたいだよな。」

これはどうも、セックスのあとだけではなく、私の人生そのものらしい。

私が風俗をこよなく愛し、刹那を追い求めるのにはわけがある。人を愛せないとか、愛し方がわからない以前に、別れに対して相当な恐怖があるからである。

実の親にすら捨てられた挙句、更に誰かに捨てられることがあればもう耐えられないと思う。

だからいつでも、「帰ろう、さよなら」という言葉は、言われる前に自分から言った。ホテルでセックスをし終わったあと、急かすように精算機の前に陣取った。恩着せがましくされるのも癪なので、ホテル代はいつでも自分が出した。いつでもそれで綺麗に終われてきたつもりだった。

別れにすがるほど子供じゃないし、今更恋愛に対し夢を見ているわけでもない。どことなくフレッシュでままごとのような恋愛にも、始まりがあるということは、死も含めて終わりがあるということは理解できている。

送られてきた2000円をしばらく見つめていた。母のことについては諦めたのではなく、やめたのである。傷ついてまで、母親の墓の在りかを知りたいわけではない。自分のルーツを辿れない寂しさはあるが、死んだ人間を追いかけ続けるほど暇じゃないし、ただ一度、自分の母親を「お母さん」と呼んでみたかっただけである。

もちろん自分の中には「お母さん」と呼んだ記憶は存在しない。だから、これまでと何ら変わりはない。

ずっと愛してほしいと願っていた。どうすれば愛してもらえるか、そればかりを考え苦しんだ青春時代だった。いつだって、抱きしめてもらうことばかり夢見ていた。

しかし子供ではない今、愛情はきっと、自分の保身を考えた時点で破滅なのである。「愛してほしい」と必要以上に願った時点で、愛情は加虐を孕む。願いはいつか、怒りや憎しみに変わる。

だから拒絶されるなら、与えるまで。例えボランティアや支援でも、お金を払い「あなたを愛したい」と言えば、自分の願いは必ず通じるし、どういうわけか有難がられる。そして適度な距離感で、いつでも自分を求めてもらえる。例え自分に与えられるものではなく、与えるものであったとしても、そこには少なからず愛が存在しているという事実はあると思う。

あくまで綺麗ごとや金銭の上に成り立ち、それらに頼り切った関係ではあるが、私も一応今現在、仮にも人の親のつもりである。だから今日、これで人(両親)を憎むのは、もうやめにしようと思っている。

今日のことは一生忘れないだろう。新時代の始まりの月に、今年1番の大雨。その日に送られた造作のない2000円。これに、愛を「与える」ということの本来の意味を教えてもらったと思う。やはり自分は、雨の日に学ぶことが多いような気がしている。

愛はきっと、保身でなくなったときに本来の力を発揮するのでしょうね。ですから愛は、与えることに意味があるのでは?と思い始めている。本当は愛してほしい。寂しさに耐えられず、奇妙で掴みどころのない焦燥に胸が焼けそうな夜もある。誰かに助けてほしいと思う、すがりたい時間をどれだけ一人で過ごしてきたか。

そういうことを考えたときに頭に浮かぶのは、やはり異国にいる自分の子供たち。何通と手紙を交わしたことはあれど、言葉を交わしたことはない。しかし毎日、子供たちの写真を眺めている。今日は美味しいご飯を食べられた?綺麗な水を飲めた?友人と楽しく過ごせたか。心配ごとはないか。笑って一日を終えられているか、涙を流すことはなかったか。いつもお金ばかりで近くにいてやれなくてごめん。

何故か自分が寂しい夜には、どうしようもなく心配で夜空をわざわざ見上げるときもある。この歳になっても尚、星の下ではみんなが繋がっていると、本気で信じている。

これもまたお金で繋がっている関係ではあるし、金の切れ目は縁の切れ目なのではあるが、それでも今、確実に私は一人ではない。その対価として、金銭を支払っているのだ。「支援」などと最もらしいことを言いながら。

だけど愛情の意味が少しわかった今は、そういう人生で本当に良かったと思っている。孤独から学ぶことはとても多い。 自分の人生は、これで良かった。これ以外ありえなかったのだから。

そんなことを思い、母親面をしてみている。大雨が過ぎた夜。深夜一時に「お母さん」について考えている。